"ピン・ポーン"と玄関の呼び鈴が来訪者を告げる。郵便局のレターパック配達です。???と思いつつ受け取ると、発送者は阪大・基礎工学部・システム科学科の「小原 敦美」と有りました。そうか!須田研の保管書物の整理に伴って、希望者には卒論原本を返送する、とあった事を思い出しました。つい先日、H23年3月7日の事です。取り出したファイルは、懐かしいベージュ色したLION FILE。「特別研究報告」のタイトルの下の指導教官欄に「須田信英助教授」と記入してました。
丁度40年前の3月に書いたもの。ページをめくる指の動きに釣られて思いは一瞬にして、豊中学舎の頃にタイムスリップ!学園紛争を終えて間もない時代、卒研への対応処理時間帯は、毎日夜半でした。計算機センター利用してのシミュレーション。我慢の範囲で応答してくれるのは、こんな時間帯でした。当に今思うと、コンピューターの発展歴史を振り返るようです。O先輩が何時も一緒だった事も思い出されます。
そんな卒研追い込みの頃のある朝でした。須田先生が珍しく早い時間に研究室まで来られた事が有りました。「秘書に、食器洗い等の雑用をさせる学生がいる様ですが、本来の勤めでは無いので、ひかえる様に!」と。名指しこそされませんでしたが、私とO先輩は、伏目がちに、赤面でした。夜食の食器が何時も流し台を一杯にしてたのですから。先生からの唯一の"お叱り"頂戴の思い出です。秘書のMさんには色々お世話を掛けました。
大学での先生との関係は学部時代の半年程度でした。私の場合は、卒業後の先生との関わりの方が、遙かに濃かったように思います。先ず、私が卒業後、数年目にして、会社のリクルートリーダーを担当した時、基礎工、工学部の電気・電子・通信・機械系の主任教授との、面談アポを全て先生が掛け合って下さいました。社会人ながらまだヒヨッコの私は、先生のこうしたサポートに甘えつつ、"須田研"を選択して、先生と出会えた事を素直に喜びました。以後も、先生の還暦の集いや、須田研・関東会等々で再会して、にこやかなお顔を拝顔する度に、須田先生って、どうして年とらないのだろうか?と思ってましたが・・・・。
私の中で、先生への感謝の思いが残る出来事があります。 研究室での輪講の席での事だったと記憶するのですが・・・・・。学部生、院生、等の同席の中で、「先生の解説は少しレベルが高すぎるように思います。もう少し、トーンダウンで、御願い出来ないでしょうか?」との発言に、先生の答えは明快でした。「全てを解るように解説するのは、いとも容易い事ですが、それでは皆さんの頑張り代が無いでは有りませんか?だから、皆さんに頑張って伸びてもらいたい高さで待ってる心算で話してます。」と。
企業人として、色々な人・組織をリードする立場に成ったとき、常に活力ある組織の運営に最大の力を注いで来ましたが、自分を含め、各部門のリーダーに何時も話し、そして意識して来たのは、"適度な頑張り代"を常にキープして、リードする事、でした。
40年前に書いたレポートの意味は、正直言って、半分程度しか理解できません。でも、今我が手に、紛れも無い"昭和46年3月"作成の特別研究報告が。こうしたプレゼントを今、手に出来るのは、先生が残して下さった「須田研」のDNAならでは,そんな気がします。
須田先生、有り難う御座いました。

須田先生に初めてお目にかかったのは3年生になって始まった『制御理論』の講義の折です。まだ制御工学というのはどんなことをやる学問なのか、よく解っていませんでした。所謂機械工学というと物を作る機械のことだろうし、電気工学というと発電所・テレビ、建築工学だとビルディング・最近で云うと東京スカイツリーなど、何をするかということがすぐに思い浮かぶのだけれど、制御工学というのはどうもよく分かっていなかった。それでいてその道に進むことを決めたのだから、ある意味ではいい加減だったのかも知れない。その選択の発想には、もしかしたらありふれたことより少し目新しいそうなことに取り組みたいと考えていたのかも知れない。
で、制御とは何ぞや、という問いかけには、きっと制御理論の講義を聞けばわかるだろうと思って教室に入ったのである。昔から、今でもそうなのであるが、ちゃんと話を聞きたいという意欲がある時は、誰にも遠慮することなく一番前の席に座る。その時もそうだった。どんな人が、どんなことを、どのように話すのだろう。できることなら、理解しやすい内容を、理解し易いように、そんな安易な期待をしていた。
そんな調子で何回かの講義が続いた。小生にとっては、制御理論は初めて相対するものであり、その概念は新しく、刺激的。大いに興味を感じた。しかし、正直なところ、ちゃんと理解するのに容易でないことを感じた。講義の間に、話が一段落した時に、先生は目と目を合わせて、「解ったかな」と無言で確認する。首を縦に振ると、次へ進む。横に振ると、表現を変えて同じところをもう一度説明してくれる。須田先生の講義は非常に丁寧で解りやすいものだと思った。初心者にはまことにありがたい。
しかし、実は制御理論よりも須田先生その人にとてつもない印象を受けた。それまでの20年間に出会った多くの人たちに比べて何か違ったものを感じ始めていた。言葉で表すと『教養』『清潔』『謙虚』かな。それはどうしてそうなのか。どのように生まれて育ったらこのような人になることができるのだろうか、そんなことを考えるようになっていた。ということで、進路は須田研。
不肖の弟子は卒業後には計測器の開発を志し、制御理論からはあまりご利益にあずかれず、また制御理論に貢献することもなかった。
研究室OBの集まりの折に、先生とどんなことをやっているかという話になって、日本書紀と江上波夫と騎馬民族の話をしたところ、意外にも先生は大いにのってきた。制御理論の大家がこんなことにも興味があるのかと、えらく懐の広い人だと感じるとともに、"教養"を感じさせるのはこの広さかと思った。それからやや後に、江上先生と同時代にかつて東大に須田教授という方が文化人類学の大家としておられたということが分かり、なるほどそのような方であったのかと納得した。
・・・・・そんなことを1月にお見舞いに行ったときにお話ししました。先生は話をされるのが苦しいということで、もっぱら小生が話したのです。実際の会話の中で、言葉でいうとどのようであるかと訊かれて、『教養』『清潔』『謙虚』ということを示すと、先生も妙に納得され、何とも言えない気分だった。
本棚を見せていただき、その文系の本の多さに驚きつつ納得し、これからいろいろなことを話していけるかな、きっと面白いだろうな、と快復の後のことを楽しみにしました。
自宅と虎の門病院を行ったり来たりということなので、今度は病院にお見舞いに行こうと思っていた矢先、お目にかかることができなくなってしまいました。これからの人生を大いに楽しもうと考えていらっしゃった先生としては無念でしょう。
最近、もう一度制御工学のおさらいをしてみたいと密かに発起し、かつての先生の講義を思い浮かべながら教科書のページを繰っています。石橋の基礎工学部の建物の上に青空が広がり、白い雲が浮かび、その中で新鮮な時を楽しんでいます。
了